プロフィール

りりこのプロフィールについてご紹介します

山口りりこ


名前
山口りりこ
(りりちゃん りーさんと呼ばれます)


誕生日
1976年4月13日 47歳


シータヒーリング最高峰の資格
サイエンスを取得 11年目

わずか1年半でサイエンスの資格を取得する
驚異的に成長を成し遂げました

教えた生徒の数1200人以上
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シータヒーリング認定サイエンス
(シータヒーリングの知識と技術をすべて修めた者に与えられる盾)

「サイエンス」とは シータヒーリングのすべてのセミナーのインストラクターの資格を持つ人に与えられる最高位の資格です

りりこはサイエンスとマスターを取得して11年目となります
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雑誌情報

雑誌に紹介されることは多数です。
こちらの写真は、HERS2020年3月号です。
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りりこのYouTube

毎週火曜21時〜 生ライブを配信中です。
ぜひご覧ください。

りりこのYouTubeチャンネル
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りりこのFacebook

りりこのFacebookはこちらから
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りりこのシータ「履歴書」

2011年12月 基礎DNAプラクティショナー プラクティショナー
2012年1月 応用DNAプラクティショナー プラクティショナー
2012年2月 アナトミー(人間解剖学) プラクティショナー
2012年2月 リズム プラクティショナー
2012年3月 ソウルメイトセミナー プラクティショナー
2012年5月 豊かさと願いの実現 プラクティショナー
2012年5月 ゲームオブライフ プラクティショナー
2012年7月 ワールドリレーションズ プラクティショナー
2012年8月 病気と障害 プラクティショナー
2012年9月 DNA3 プラクティショナー
2012年12月 ファミリータイズ プラクティショナー
2012年12月 プロコーチング プラクティショナー
2012年12月プロコーチ 講師力UPセミナー プラクティショナー
2012年12月 プロコーチ開業セミナー プラクティショナー
2013年3月 ハッピーライフ プラクティショナー


2012年4月 基礎DNA インストラクター
2012年4月 応用DNA インストラクター
2012年4月 豊かさと願いの実現 インストラクター
2013年4月 ゲームオブライフ インストラクター
2013年4月 アナトミー インストラクター
2013年4月 ライトボディ アクティベーションプラクティショナー
2013年4月 ライトボディ アクティベーションインストラクター
2013年6月 シータヒーリング マスター認定

2013年6月 レインボーチルドレン インストラクター
2013年7月 クリスタルレイアウト プラクティショナー
2013年8月 クリスタルレイアウト インストラクター
2013年8月 クリスタルリモートビューイング プラクティショナー
2013年8月 クリスタルリモートビューイング インストラクター
2013年8月 病気と障害 インストラクター
2013年8月 ワールドリレーションズ インストラクター
2013年8月 DNA3 インストラクター

2013年8月 シータ・ヒーリング サイエンス認定


2013年11月 アニマル&プラント プラクティショナー
2014年4月 存在の層 プラクティショナー
2014年4月 アニマル インストラクター
2014年4月 プラント インストラクター
2014年8月 存在の層 インストラクター
2014年8月 ディグディーパー インストラクター(掘り下げ)
2014年8月 ファミリータイズ インストラクター

2016年10月 ヴァイアナのアシスタント inアテネ
2016年6月 豊かさと願いの実現 インストラクター(再受講)
2016年6月 ウェルネスコンシャスネス プラクティショナー
2018年2月 パートナーシップ1・2・3・4 インストラクター
2018年春 東京にてシータ・ヒーリング インストラクター(講師ジョシュのアシスタント)
2019年 存在の層2 プラクティショナー その後 モンタナへ
2022年6月 ウェルネスコンシャスネス プラクティショナー
2023年5月 あなたとアルゴリズム プラクティショナー
2023年5月 あなたとアルゴリズム インストラクター

シータヒーリングの認定サイエンス更新は2回目で11年目を迎える
国内サイエンス保持者のなかでトップクラスの活動実績と信望を得ている
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りりこの思い

バシャールとシータヒーリング

バシャールの高次元の意識は
私たちを高い波動に連れていきます


ネガティブビリーフは
シータヒーリングが得意

この両方からくる知識の活用で
進化が早くできました



Message

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人生の始めから35歳までは
本当に辛いものでした。

11年前の私の人生は終わっていました。

離婚
母の死
津波
リストラ・・・

そのとき、シータヒーリングを藁にもすがる思いで始めました。

「このままでは、未来に幸せがない」

と思ったからです。


自分のネガティブ思考を見直さないといけない・・・

そのように思いました。

シータヒーリングと出会う前まで、
「きっと私は誰かに苦しみを与えられたんだ!」と思っていたけれど
真実は違いました。

【自分で自分に苦しみを与えていた】のです。

私は自分にとてもスパルタでした。
自分が与えた人生が悲惨だった理由が、シータを通してわかってきました。

でも、当時の私も含め、ほとんどの人は「自分で自分を苦しめている」なんて知らないで、
それでも必死に生きているのだと思います。
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私は、目が覚めました。

私は言うなれば、ゆっくり生きるために、ストレスをあえて自分に与えていたのでした。
そうすれば、人生に何も進展がなくても「仕方がない」と思えるから。
そうやって言い訳を集めていたのが人生の前半でした。


言い訳集めは本当に苦しいものです。 
私は人生を死んでしまう最後の日まで「仕方がない」集めをするつもりだったのです。


でも、あるとき、こんなに苦しいなら、むしろ「目覚めて生きたい」と思いました。
そして私はシータヒーリングと出会ったのです。

「人生がどのような仕組みでできているのか?」を学ぶ必要がありました。
そのうえで、改めて「ポジティブな思考を選択する」必要がありました。

この過程で、徹底的に自分のネガティな思考を見直しました。

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縛られてるものから解放されたら
能力が10倍に伸びていった。

頭ガチガチで頑張るより、抵抗を解決すれば、それだけでぐんぐんと伸びます!
10倍練習できるし、吸収力も上がるし、何より楽しくできるからです。

夢の実現もたくさんできました。

私は今、シータヒーリングの講師をして活躍できています。

2022年8月には、自立して5LDKの新築の家も建てました。
愛する家族との時間をいっぱい過ごしています。
かつての私には考えられないことです。

これは、私の幸せを、「私が私に与えることができるようになった」おかげです。

愛ですよね。

このような人生が始まってくれたのも、
「私が私に厳しい経験を与えなくなった」からです。
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「私は何のために生まれてきたのか?」
自分は誰か、遂にわかった。

人間はどうやって、人生が革命的に変わるのか。
人生の仕組みが、
自らの人生を変えたことでわかりました。

シータヒーリングを学べば学ぶほど、楽しくて深くなっていきます。

過去生では何者だったのか?
何をしにこの時代、ここ場所にやって来たのか?
誰と愛し合うためなのか?

それがすべてわかりました。
自分が何者であるかを知って生きるほど幸せなことはありません。

ただ生きて、人生をやり過ごすのではなく
「自分を今からもう一度幸福にしたい」と願う方のお役に立ちたいです。

私のサロンlily in bloomでお待ちしています。


愛を込めて


りりこ
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17年間に及ぶ
乳がんの母の闘病生活

母の乳がんと私の使命

高校2年生のとき、我が家に転機が訪れました。
母の乳がんが発覚したのです。

当初、その乳がんは小さく、転移の心配はないとされていましたが、
17年かけてゆっくりと骨や他の臓器に転移していきました。
私の使命はこのときから始まったのです。

母には大事にしている宗教があり、
そのボランティア活動として、
同じ病気で苦しむ人に
愛を与えながら励ますという
活動をしていました。


人に親切にしている方が元気でいられる、と言っていたのを覚えています。
自分は病を抱えながら、それでいて、いつも笑っている人でした。
母は神を信じて行動していましたが
どんなに善い行動をして自分をごまかしても、
癌は容赦なく進行していきました。


やがて体はガリガリになり、体重は30キロぐらいになってしまいました。
抗がん剤の影響で髪の毛もなくなり、女性の美しさは捨てたようなものとなりました。
5度の手術で、両方の胸を摘出しました。

母の病気が深刻になっていくにつれ
「そんな母を救えるのは、私だけだ」
という気持ちが強くなりました。
私も人生を捨てた気持ちで、母を支える生活に17年間取り組みました。


でもそれは、ネガティブな思考に振り回される日々でした。

私に青春時代なんてありませんでした。
母を支えている私もぼろぼろになっていき、
大好きな母が希望を失くしていくのを見ていられませんでした。

17年の間、保険適応外の抗がん剤や放射線の治療はすべてやり尽くしましたが、
どれも効果はなく、
大好きな母が日に日に悲しみに暮れ弱っていくのは、本当に辛い日々でした。

医者は口を揃えて「もう無理」だと言い、私たちは深く傷つけられました。

だけど医者の言葉を信じる訳にはいきませんでした。

信じてしまったら、母が死んでしまうからです。


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最後の5年間は本当に過酷なものでした。

海外から無認可の抗がん剤を取り寄せたり、
1回につき60万円かかる注射を週に2回行ったりしました。
手の波動によりエネルギーを出して癌を攻撃するという“仙人”の治療も受けました。
回5万円を計30回です。

サプリメントを大量に飲む高額な治療もやりました。
それだけでひと月に10万円もかかりました。

私たち家族は悲しみのあまり、正しい判断などできなかったのです。
できる治療はすべて行い、その金額は数千万円を超えていました。

今思えば、もしあのとき「純粋な愛につながる」という意識が私にあったら、
母は助かったかもしれません。

でもあのときは、シータヒーリングを知りませんでした。
私は、ネガティブな思考に振り回された行動を必死に続けていました。
その結果、恐れからくる行動ばかりで、奇跡を起こすのを自ら遠ざけてしまいました。

長い闘病生活の最後になると、
母の癌は、骨、肺、そして皮膚に転移していました。
皮膚を見て毎日、癌の大きさが把握できるので、それはもっと母を苦しめました。

皮膚に癌が広がると、体が硬直して、母は痛くて眠れない日々でした。
病臭もきつくなり、私は一層暗い気持ちになりました。

毎日、「痛いよ、痛いよ」と、病院から携帯で呼び出されたのを覚えています。

そんな状態の母に私は何もできず、
「大丈夫だよ、大丈夫だから」と声をかけるだけでした。
この段階でも私たちは、まだ神が助けてくれる、奇跡が起きると信じていました。

癌は脳には転移しなかったので、私のことを覚えてくれていたのは、本当に嬉しかったです。

このような辛い闘病生活は、本当に過酷で、とうてい耐えられるような悲しみではありません。
できれば、目をそらして生きることも選択できましたが、母を見捨てるなんてできませんでした。

私も癌になったような気持ちで、母と一緒に毎日過ごしていました。

でも、私だって誰かに助けてもらいたい・・・。
本当はそう思っていました。
私は神に祈る時間が長くなりました。奇跡よ・・・奇跡よ起これ・・・と。

誰かに相談するのは嫌いでした。
なぜなら、誰もこの気持ちはわかってくれないと思っていたのです。
「どうせ、だめだろう」と。
私は自ら限界を定め、そこに立ちすくむ思考ばかりを持っていたのです。

そして、それはますます現実化していくこととなりました。
本当は「癌が消える、奇跡が起きる」なんて思考は持っていなかったのです。
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思い込みのとおり、癌は癒えませんでした。

母は、肺に水がたまってしまうので、毎日溺れる恐怖と戦っていました。
遂に母は、水に溺れる苦しみに耐えられずに、
私に「モルフィネで死なせてくれないか?」と頼みました。

そんなことを母に言われて、私は悲しくて悲しくて、
最後のわがままを言っていいなら
「植物人間でもいいから生きていてほしい」と言いたかった。
けど、それは言えませんでした。
母の苦しみは痛いほどわかるし、見ているのも限界でした。

「モルフィネを肌に貼ると、意識がもうろうとして記憶がなくなるかも」と
医者が言いました。

「もう私のことはわからなくなくなっちゃうかな」と思い、
怖かったけど覚悟して、私がモルフィネを貼りました。
愛している人にモルフィネを貼るのは、本当に悲しいことでした。

それから母は、1日で話ができなくなりました。
ベッドでずっと、うつらうつらした状態でした。
今思えば、魂がさまよっていたのでしょう。

2日目にまたモルフィネを貼るときは、
「これを貼れば死んでしまう」ということがわかっていたので、
手がぶるぶると震えました。

もうお母さんの声が聞けなくなる・・・。

「お母さん」

声をかけましたが、やっぱり返事はありませんでした。

その晩も意識はないけど、かすかに息をしている母の隣で一緒に寝ました。

最後の時間は、なぜか不安が消えて、愛に包まれている気持ちになりました。
最後に母と私の魂は、抱き合っていたのだと思います。
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母から子へ、最後の子育て

母の顔を覗き込んだ最期の2秒間。


スーーーっと、最期にひと息をして、それきりになる瞬間を見ました。
「お母さん・・・。もういいよ」
思わず、そうつぶやきました。

心臓が止まり、腕の脈が止まり、血の気が引いていき、
なぜか口角が上がり、笑ったような顔で、母は死んでいきました。

お母さんが亡くなる、愛になる瞬間に出会えました。
私が顔を覗き込んで、安心して次の旅に出たようです。

私は、スピリチュアルな方ではありませんでしたが
母の声で「バンザーイ、バンザーイ、やりきったぞぉ~」って聞こえてきました。

本当に病気は戦いでした。
私たちは、抵抗して頑張り過ぎてしまった。
本当は、病気を愛すればよかったんです。

でも、そう思えなかったのが
人間の思考であり、ガチガチの脳なのです。

母は私がヒーラーとして成長するために、本当にいい経験をさせてくれました。
この経験は、母から子へ、最後の子育てだったのだと思います。

私はこの経験で、人一倍、思いやりを持ちましたが、
残っている仕事は、潜在意識の思い込みを片付けることです。
ネガティブな思い込みがたくさんあったせいで、
私はこのように“面白い”ドラマを創ってしまっていたのです。


ドラマは、一度経験したら終わり、というものではありません。
潜在意識は放っておけば、また違うかたちで芽を出してしまうのです。
だって自分が信じていることだから。
そのままにしていれば、また違う次の“ドラマ”が始まってしまうのです。

神は人の外にはいませんでした。
神は私の中に存在するのものです。


シータヒーリングに出会った後、
私は自分を許してあげることを日々、実践しています。

決して頑張り過ぎることなく、自分を責めることなく。

母の口癖は「しっかりした人になりなさい」でした。

生まれ変わった私は、しっかりと土台のある人になりました。
今の姿をきっと母は褒めてくれるんじゃないかなと思っています。

シータヒーリングと出会い、

シータヒーリングを始めたことで私は「深い慈愛」を
思い出すことができました。
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すべての私を愛し、すべての幸せを経験しよう!

シータヒーリングを通して、
自分でも気づかないうちに身についてしまっていたネガティブな考え方が
つらい現実を引き起こしてしまっていたと理解しました。

シータヒーリングを学び、
ネガティブな思考をポジティブな思考へと変えられるようになってからは、
“自分がする経験は、自分が決める。”
それを実現できるやり方を私は実は知っていたのです。

それをネガティブな思考の積み重ねで忘れてしまっていた。
私は自分の人生は自分で創り出せることを思い出し、目が覚めました。


思い返せば、幼い頃、私は時々「深い慈愛」を感じることがありました。
「深い慈愛」が私を訪れてくれていたのです。

シータヒーリングを始めて自分を制限する思考パターンから解放をしたら、
その「深い慈愛」と、副作用なく、一緒に生きれられるようになりました。
それによって作り出せる高い振動数は、私をいつも創造主とつなげてくれます。

私が知った“唯一自分がすべきこと”は
「自分を知って、あらゆる側面の幸せを経験すること」です。

自分が誰なのかを知ったら、
幸せをちゃんと責任持って経験しよう!と思えるようになりました。
今では、私は受け身ではなく、私から進んで人生を生きています。

本当の私はユーモアがありますし、意外と女の子です。
強い面もありますが、そこも私のお気に入りなんです。

永遠の幸せとは
自分を知って、すべての側面の私を愛することだと思っています。

サロンに来る生徒さんやまわりの人を愛するという気持ちを
私がずっと持っていられるのは、
もともと持っていたものを思い出せたからなのです。


特別なことではありません。
だから、皆さんも、創造主とどのように再びつながるのか、
そのやり方を思い出せたればいいだけなのです。
人生の変え方は、ヒーラーに教えてもらうのが一番早いと思っています。

人生に迷いがある方に、私が経験を通して伝えたいことを
最後に記します。

もしあなたが今、不幸な人生を送っているというならば、
その原因は、
自分の心にある愛を忘れてしまったためです。

過去のさまざまな苦しみや、耐えきれない程の深い悲しみ、
自己否定してしまう暗闇の被害者意識などがあり、
「またあの辛い経験が起きてしまうのでは?」という恐れが
あなたを支配しているからです。

まず、そんなあなたについて、あなた自身が深くわかってあげましょう。
「恐れなくてもいいよ」と、解放してあげましょう。

そして、前に進めるようにしてあげましょう。